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似島の歴史

西暦 国暦 日付  
1894 明治27年 8月 日清戦争はじまる
    10月18日 臨時帝国議会を広島において開会
1895 明治28年 4月 日清戦争、日清講和条約の調印で終結する
    5月30日 臨時陸軍に似島検疫所を設置する
1903 明治36年 6月23日 似島漁業組合を設立(組合長 中村忠吉)
1904 明治37年 2月11日 日露戦争 はじまる
    10月24日 陸軍が第二検疫所・消毒所を設置する
1905 明治38年 1月10日 似島検疫所にロシア軍俘虜収容所を開設する
1917 大正6年 2月19日 ドイツ軍捕虜を大阪収容所から似島検疫所に転収容(545名)
1919 大正8年   広島市内皆実町にあった弾薬庫の一部を似島に移設
    1月16日 似島俘虜収容所のドイツ人捕虜チームと広島高等師範、広島
      県師範学校のサッカーチームが試合を行う
    3月4日 広島県物産陳列館にてドイツ捕虜の製作品展覧会を開催する
    5月18日 広島市内でドイツ軍俘虜の音楽会を開催する
1920 大正9年 1月22日 似島俘虜収容所を閉鎖する
1929 昭和4年 4月1日 仁保村全域が広島市と合併し、似島も広島市仁保町となる
1940 昭和15年   陸軍馬匹検疫所を設置する
1941 昭和16年 11月18日 広電(現:中国電力)から送電が開始され再び電灯がつく
    12月8日 太平洋戦争はじまる
1942 昭和17年   似島・長浜に陸軍燃料貯蔵基地を建設(陸上建物と桟橋)する
1945 昭和20年 8月6日 原子爆弾の投下を受ける
      似島陸軍検疫所が臨時野戦病院とない被爆者を収容する
      似島説教所も救護(収容)所となる
      島民総出で負傷者の介護、看護にあたる
      似島住民にも多数の犠牲者・負傷者がでる
    8月25日 検疫所に設置していた臨時野戦病院(収容所)を閉鎖する
    10月 似島国民学校が授業を再開する
1946 昭和21年 9月3日 第一検疫所跡地に広島県戦災児教育所似島学園を開設する
      同時に広島市立似島国民学校の分教場を同園内に設置
1947 昭和22年 4月1日 似島国民学校を似島小学校と改称する
    6月1日 広島市役所似島出張所を開設(市内18カ所に設置)
      (当時の似島人の口は、2,206名)
    9月25日 千人塚(広島市戦災死歿者似島供養塔)を建立する
1948 昭和23年 初頭 旧軍によって強制的に借り上げられていた中の原地区および
      長浜地区の土地が返還され、元の農地に整備して農産物の
      生産を再開する
1955 昭和30年 4月1日 広島市立似島保育園を開設する
    8月4日 南風泊の千人塚(似島供養塔)の遺骨2,000柱を平和公園内
      の新供養塔に納める
1965 昭和40年 12月 第二検疫所跡地北側に社会福祉法人 広島平和養老館が
      開設される
1967 昭和42年 3月 似島の人口は2,948名
1971 昭和46年 10〜11月 似島中学校運動場において原爆死没者の遺骨517柱を発見、
      平和公園内の供養塔に納める
1972 昭和47年 11月21日 遺骨発掘現場の隣に慰霊碑を建立、山田節男市長も参列して
      原爆死没者の慰霊祭を行う
1984 昭和59年 5月13日 似島臨海少年自然の家が開所する
1988 昭和63年   似島の人口は、1,903名
1990 平成2年 9月 大黄の市営住宅敷地内を発掘し、馬体焼却炉施設から被爆者
      の遺骨などを収容
1991 平成3年 2月 焼却炉の一部を似島臨海少年自然の家(旧陸軍似島検疫所跡)
      の敷地内に移設・保存する
    3月 似島門徒が親鸞聖人像を建立する
1995 平成7年   似島の人口は、1,517名
1998 平成10年 4月1日 似島の人口は、1,413名
2004 平成16年  6月‐7月 昭和46年の遺骨を発掘した場所の隣接地で、遺骨を85体と65
      点の遺品を発掘した

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似島船上追悼イベント実行委員会
〒107-0062 東京都港区南青山1丁目19-13
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